エピクテトスの死生観:「コントロールできること、できないこと」から学ぶ心の平穏
エピクテトスとは? 日々の悩みと向き合う古代の知恵
私たちの人生には、思い通りにならないことがたくさんあります。病気、人間関係、そして何よりも避けられない死。これらの「どうすることもできない出来事」に直面したとき、私たちは不安を感じたり、心を乱されたりするものです。
古代ローマを生きたストア派の哲学者、エピクテトスは、こうした人生の困難と向き合うための深い洞察を残しました。彼は奴隷として生まれ、解放後に哲学を教えたという異色の経歴を持ちます。その思想は、彼自身の厳しい経験から生まれた、現実的で力強いものです。
彼の教えの中でも最も有名なのが、「私たちのコントロールできること」と「コントロールできないこと」を明確に区別することの重要性です。このシンプルな区分けが、死という究極の「コントロールできないこと」とどう向き合うか、そして日々の生活の中でどのように心の平穏を保つかについて、私たちに大切なヒントを与えてくれます。
コントロールできるのは「自分の内面」だけ
エピクテトスは、私たちの人生における出来事を二つのカテゴリーに分けました。
一つは「私たちのコントロールできること」です。これは、私たちの考え方、判断、欲望、嫌悪、そして自らの行動に関わる選択といった、自分自身の内面的な事柄を指します。
もう一つは「私たちのコントロールできないこと」です。これは、他人の評判、財産、健康、そして身体そのものや、世界の出来事、そしてもちろん「死」といった、自分自身の外側にある事柄すべてを指します。
彼は、私たちが心を乱されるのは、この二つの区別を誤り、「コントロールできないこと」をコントロールしようとすることにあると考えました。特に死は、まさにその典型です。どれほど願っても、私たちの寿命を自分でコントロールすることはできません。
死への不安をどう捉えるか
死が「コントロールできないこと」であるならば、それに心を悩ませたり、恐れたりすることは、エピクテトスの教えによれば、無益なことになります。なぜなら、それは私たちの力ではどうすることもできない事柄だからです。
彼は、死そのものではなく、死に対する「考え方」や「恐れ」こそが、私たちを苦しめるのだと示唆します。死が迫ることへの不安や、大切な人との別れ、あるいは喪失への悲しみは自然な感情かもしれません。しかし、これらの感情に心を完全に支配されてしまうのは、「コントロールできないこと」に囚われている状態だと言えるでしょう。
エピクテトスは、死そのものを避けようとするのではなく、死が必然であるという現実を受け入れ、それに対する自分の「判断」や「態度」をコントロールすることに焦点を当てるよう勧めます。
「今」を生きることに集中する知恵
では、「コントロールできない死」を一旦脇に置くならば、私たちは何をすべきでしょうか。エピクテトスは、「コントロールできること」、すなわち自分自身の内面と日々の行いに集中することの重要性を説きます。
私たちがどのような価値観を持ち、どのように判断し、どのような行動をとるか。これらは全て、私たち自身が選択できる事柄です。エピクテトスにとって、哲学を学び、理性的に考え、徳をもって生きることこそが、私たちが本当にコントロールできる、最も価値のある営みでした。
死はいつか必ず訪れます。しかし、その「いつか」を案じて今の時間を無為に過ごすのではなく、今この瞬間の自分の振る舞いや内面に意識を向けること。自分にとって価値のあることを行い、善き人間であろうと努めること。これこそが、死という避けられない出来事に対する、ストア派らしい、そしてエピクテトスらしい向き合い方と言えます。それは、死を恐れて立ち止まるのではなく、限られた生の中で、自分自身の内なる生を豊かにすることを目指す姿勢です。
エピクテトスの教えが現代にもたらす心の平穏
エピクテトスの思想は、数千年を経た現代でも、私たちの心に響く力を持っています。特に、先の見えない時代において、コントロールできない多くの出来事(社会情勢、災害、病など)に私たちは翻弄されがちです。
そのような中で、彼の「コントロールできることとできないことの区別」という教えは、私たちが不安や心配に囚われすぎないための羅針盤となります。死への不安もまた、コントロールできない未来の出来事に対するものです。その不安に打ちひしがれるのではなく、今、自分がどのように考え、どのように行動するか、という「自分自身」に意識を戻すこと。これこそが、エピクテトスが私たちに示してくれる、心の平穏への道筋ではないでしょうか。
自身の老いや死について考えるとき、コントロールできない死そのものを恐れるのではなく、今をどう生きるか、自分の内面をどのように整えるか、という点に焦点を当てること。エピクテトスの教えは、私たちに、落ち着いて、主体的に、人生の最終章、そしてその先の可能性と向き合うための静かな勇気を与えてくれるのです。